2023年4月9日日曜日

4月8日の読書会

今月はいつもより1週間早い第2土曜の開催、伝助のおかげで、全員参加の充実した読書会とあいなりました。めでたいめでたい。


とうとう〈甘草之味〉読みおえてしまいました。続きが気になる結末です。

小姨父の最後のひと言をどうとらえるか、読者によっていかようにも読み解けそうです。こうやって読者に下駄を預けてしまう終わり方、わたしは“突き放された”感で落ち着かず、勝手にこの続きをいく通りも想像してしまいます。それってたぶん、作者の思惑どおりなんでしょう、くやしいー。

小姨父と董耀先、それぞれの人生の浮き沈み、内心の駆け引きを通して、「甘草の味」を人生の味と重ねあわせているんでしょうか。小姨父が董耀先に「反正是一个死,人终有一死,不过是早一天晚一天的事。反正我这辈子认定你了」(p.787)と告げる場面があります。これが恋愛小説なら、ときめく場面になりそうです。あいにくこの作品は恋愛小説ではないので、ときめきはなかったですが、対照的なふたりの陰陽の秤が、ここで今、ぴたっとバランスをとったなぁと感じました。董耀先にとっても小姨父の存在は、自身の人生を左右する運命的な存在だからです。このあと、ふたりはある「旅」に出るのですが、そこからラストまでの展開はちょっと駆け足ぎみで、もう少し描写が欲しいところでした。

とにもかくにも、〈甘草之味〉をわたしもじっくり味わいました。


〈甘草之味〉の余韻もそこそこに、お待ちかねの〈朗霞的西街〉に入りました。

作品の冒頭って、どれもなんとなく敷居が高く感じます。よそのお宅にお邪魔して、自分がかしこまってるイメージ。読み進むうちに、だんだん作者の世界(言葉?)に慣れて引き込まれていくわけです。ベテランのShenShenや室生さんが、作品の冒頭をくっきりとわかりやすく読ませてくれて、この作品、じつはとても文学チックな表現が満載のお宅(作品)なのだと気づかせてもらいました。……そっか、予習が思ったよりはかどらないのはそのせいだったのか。わたしがドラマ《赘婿》漬けだったせいじゃなかったんだと、こっそり安心しました(←え、そうなの?)。同時に、作品の格調に気づかず、恋愛小説じゃんと無自覚にはしゃいでいた自分が恥ずかしくもあり……。


「这树、这字,从朗霞家买下这宅子时,就穿壁引光在了那里。」(p.403)の「穿壁引光」。わたしは、これが成語だと知らなかったです。あとで調べたら、穿壁引光とは、 前漢の政治家 匡衡(きょう こう)という人が、若かりしころ、壁に小さな穴を開け、隣の家の明かりを拝借して勉強したよ、という故事から、苦学のたとえとして使われるそうです。もう一生、この成語は忘れない。

でも、文脈的になぜこの場面で、苦学せねばならぬのか……謎です。

で、読書会のあと、わたしなりに考えたのが、「そっくりそのまま」という意味あいで使っているのじゃないか、ということ。「苦学」はこの際、関係ない。つまり、家の持ち主が変わっても、前の持ち主のものだった樹や文字を、「穿壁引光」の「光」になぞらえて、「そっくりそのまま引き継いだ」……、という解釈はどうでしょう? 

いつか、思わぬタイミングで疑問が解決することもあるかもしれないので、とりあえずここに記録しておきまーす。[祥] 

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