杭州にも秋がやってきました。朝は18℃前後でちょっと肌寒く感じます。
読書会の前日に「南宋官窑博物館」に行って、800年前の南宋の官窑の遺跡を見てきました。展示館ではさまざまな時代の陶磁器を見ることができて、今回の作品のイメージが膨らみました。人も少なく、2~3時間存分に見て回りました。ただ、残念ながら「白釉黑花罐」っぽい器は見当たらなかったです。博物館の周囲も閑散としていてたいへん気持ちのいい場所です。ここは社会科見学の定番なのか、小学生の団体が芝生にお弁当広げていました。お弁当といっても日本のそれと違い、菓子パンやらお菓子やら果物やら、とってもラフな感じ。これならお母さんも楽だなと思いました。
【いろんな「把」の使い方あるんだなー】
たとえばp.97だけ見ても、以下の「把」を使った文章が出てきます。
(「主語」+ 把 +「目的語(物)」)+「動詞」+「その他の飾りっぽい要素」
「他将来把这只罐子埋在汴河旁」(p.97)
「窑工沉默片刻,忽然把目光移到我身上」(p.97)
これはすんなりわかる。よく見知った形の把構文。
こんな使い方もあるのかーと、仲間の指摘で気づいた形がこれ。
「我不敢把这种揣测说与窑工,怕他羞愤」(p.97)
「動詞」+「人」がくる形の仲間と捉えていいのかな。たとえば、
「徽宗不会把自己的牙齿给他」(p.97)
これだとわかる。
「動詞」+助詞「得」+形容詞が続く形も見つけました。
「他这话把我吓得不轻」(p.97)
遅子建と同じ黒竜江省出身の作家で梁暁声という方がいます。この人の散文を読んでいたらこんな一文が出てきました。「父亲不论在哪一个剧组当群众演员,都一概地称导演为“我们导演”。从这种称谓中我听得出来,他是把他自己——一个迎着镜头走过来或背着镜头走过去的群众演员,与一位导演联得太紧密了。或者反过来说,他是把一位导演,与一个迎着镜头走过来或背着镜头走过去的群众演员联得太紧密了」。
修飾が長いので頭がくらくらしますが、これって、「把」を使わないで表現できたりするんでしょうか。いろんな「把」の使い方があるんですね。「把」の使い手になるには、修行が必要です。
【擬人化的な何か?】
「可人的火一定懂得我的心意」(p.97)
ここの「可人」って、どういう意味にとったらいいんでしょう。「可人」を調べると、「(人に好感を起こさせる)好ましい。魅力的である。感じの良い。すばらしい。すてきである」「取り柄のある人。ひとかどの人」などと出てきます。「魅力的な火」? 「ひとかどの火」? なんかこう、炎が気を利かせたっぽいのは伝わるんですが、日本語で理解しようとすると妙な絵面が頭に浮かんで、笑いがこみ上げてきます。
【上流か、下流か】
「如果我想听,得去下个渡口」(p.98)
ここの「下个渡口」って、場所をあらわしているのでしょうか。川の下流とか? ならば、もし陶工の小屋から見て川の上流にある渡し場なら、「上个渡口」といういい方もできるのかな。……いやまぁ、どうでもいいことなんですが。
【主語に忠実】
「她继续刮鱼,垂着头说她知道的故事比巴兰河底的石头还多,不知我想听的是哪一块?」(p.100)
わたしの日本語頭では「她继续刮鱼,垂着头说:“我知道的故事比巴兰河底的石头还多,不知你想听的是哪一块?”」と読んでいます。けれど、原文はずっと「我」の視点だから「她」と「我」です。たとえば、こういう文章を日本語に直すときって、どこまで原文に忠実になればいいんでしょう。
【「两扇窗」は2枚の窓ではなく、両開きの窓】
「发现它与野外搭建的棚屋只开两扇窗的不同,它在东南西北各开了方形小窗」(p.100)
渡し場の女の小屋には東西南北の4か所に四角い小窓が設けられています。ほかの小屋は「両開きの窓」が一つだけ設けられています。ここを「窓が2枚」と勘違いしていました。「扇」が量詞と思い込んで、ほかの小屋は窓が2枚しかないのに、女の小屋には四方に窓ある、しかも北と東の窓は薄暗く、南と西の窓はぼんやり明るい、なんの暗示だ、なんだなんだあやしいぞ……と、勝手に想像を膨らませてしまいました。
ちょっと肌寒くなって、防寒が心細くなってきました。どうにも足もとが冷えるので、淘宝でUSB充電できる靴の中敷きを購入しました。学生たちはなんでも淘宝で買い物します。送料無料で、しかも次の日にあっさり届いたりします。荷物が届くとスマホに連絡が来るので、「菜鸟驿站」という集積場所まで行って、指定された棚から自分の荷物を探し出して持ち帰ります。淘宝は非常に便利ですが、ちょっとした日用品を淘宝で買うのに罪悪感を覚えます。明らかに送料のほうが高くつきそう……。それに頼んだものがちゃんと届かないこともままあります。「安い」という理由だけで飛びついてはいけません(←経験者)。セットで頼んだ靴の中敷き用のリチウム電池、ちゃんと送ってくれるのかなぁ……。とにかく何もかもが「授業料」の日々。[祥]